
AMETHYST Sonora, Mexico
次に紫の石あるいはそれの変質した種類にいまひとつの部門を当てる。
この章の前には延々宝石の話をしていたプリニウスさん。
ここからアメジストのお話ですよとの区切りの文章です。
ここで第一の地位を占めるのインドの紫水晶である。
最も紫水晶はアラビアのシリアに接したペトラとして知られている地方、そしてまた小アルメニア、エジプト、ガラティアにも産する。
一方もっとも不完全で価値のない種類が、タソスとキプロスに産する。
インド産のアメジスト、今でもたくさんありますね。
そしてこの”ペトラ”とはヨルダンの世界遺産、ペトラの付近かな?
”小アルメニア”とはトルコの東側、当時はどのエリアまでがそうだったか詳しくわかりませんが、カスピ海までのエリアのことをさすようです。
(解らなかったのでかなり調べたのですが、この結論になりました。)
”ガラティア”は今のトルコのど真ん中辺り。
”タソス”はギリシャのタソス島。
”キプロス”はシリアの西、キプロス島です。
アメトュストス<紫水晶>という名はこの石の輝かしい色がブドウ酒の色のつい近くまで近づきながら、それを吸収するすぐ手前で止まり、濃い色に終わったのだ、という空想的な事実によって説明されてきた。
さらに他の人々は、その特有の紫色にはあまり明るくない赤の要素が含まれており、それが薄れて葡萄酒色に移行するのだと説明している。
それはどうでも、全ての紫水晶は透明で美しいスミレ色をしていて、いずれも彫刻しやすい。
”空想的な事実” 素敵な時代を感じさせますね。
アメジストのギリシャ神話をここでお話します。
バッカスは、今から最初に会った人に、自分の家来であるバッケー達を仕向けようと考えていました。
バッケーとは、見た目はヒョウで酔っ払っている猛獣ですが、唯一、葡萄酒を作る才能がありました。
そこへ歩いてきたのは、月の女神ディアナのいる神殿につかえる、妖精のアメシスト。
バッカスがバッケー達をけしかけ、襲われる直前にアメシストは小さい石となってしまいました。
見ると透明で綺麗な石、水晶になっていました。
あまりの石の美しさと自分の犯した罪に深く悔い、”未来永劫、私の葡萄の実りはアメシストへの懺悔になろう”と叫びながら葡萄酒を石に注ぐと、紫色の水晶=アメシストになったということです。
その後、バッケー達も改心し、葡萄酒作りに精を出し、バッカスが行くところ酒と豊穣があり人々を喜ばせたということです。
そしてバッカスは、酒と豊穣の神 バッカス神となりました。
ブドウ酒とアメジストの繋がりはとてもとても深いものです。
インド紫水晶の最上のものは完全にテュロス紫の色を帯びている。
そして染色工場が仰望してそれと競うのはこの色である。
この石はよく見ると柔らかで甘美な色を放っており、その色は紅玉と違って眩しいようなことはない。
”テュロス紫”とは、古代、地中海域で貝を使って染めた赤紫色のこと。
染めるために必要な貝の量は、染料1グラムで貝は2000個も必要だったとのこと。
古よりヨーロッパでは紫色が高貴な色として扱われています。
こんなにも手間をかけて染められる紫色は、当然権力者の色としてのシンボルカラーとなっていました。
別名、ロイヤルパープル(帝王紫)ともいわれます。
ティリアン・パープル、ティルス紫と言われますがいずれも同色のようです。
紫が高貴とされている世界で、自然に色づいた紫。
染色工場の技術者はこぞって紫を求めていたのでしょう。
紅玉とはルビーのことですがこの時代、今と同じ感覚でルビーとしていたか?若しくは、ぜんぜん違うものも入っているかもしれません。
赤い石=紅玉=ルビーとしていたようです。
”眩しい”と紅玉は表現されていますので、キラキラの石だったのでしょうね。
いまひとつの種類の紫水晶は変質してヒュアキントスに近づいている。
その色はインド人にソコスとして、そしてそういう種類の宝石はソコンディオスとして知られている。
”ヒュアキントス”とは”ヒヤシンスの花”。
サファイアを含む青い石の総称として使われていました。
紫ではなくブルーに近づいているということのようです。
ソコス・ソコンディオス・・ 共に調べたのですが、謎です。
どなたかご存じの方、ご連絡ください。
同じ石の色の薄い種類はサペノス、そしてまたアラビアに隣接している地区ではある種族の名にちなんでパラニティスと呼ばれる。
お手上げでーす!(笑)
サペノス・パラニティス共に不明。
前のヒュアキントスを受けての”同じ石の薄い種類”と考えると、ブルーの濃いものはソコンディオスで、ブルーの薄いものはサペノス(パラニティス)と呼ばれると考えられます。
しかし。
これが今でいうアメジストかは深い闇の中です。
第四の種類は赤ブドウ酒の色をしており、第五のものは退化してほとんど水晶に近い。
というのはその紫が褪せてしまってほとんど色がなくなっているから。
これは最も値打ちの無い種類である。
というのは良質の石は、光にかざすとその紫色の中にバラ色が、紅玉からのように、おだやかに輝き出ていなければいけないのだから。
色がないものが一番価値が低いと言う事ですね。
因みに、アメジストは紫外線の影響で退色する事があります。
光にかざすとバラ色。
綺麗なアメジストは確かに光にかざすとほんわか赤紫が光ります。
ある人々はこういう石をパエデロス<お気に入り>と、他の人はアンテロス<報復された愛>と、そしてまた多くの人々は、ウェヌスの瞼と呼ぶ。
お気に入りと呼んで大切にするのはいつの時代でも同じなのですね。
報復された愛とはまた…
ウェヌスとはヴィーナスのラテン語です。
パワーストーン的なアメジストの解釈に、よくこのプリニウスの博物誌よりヴィーナスの瞼と呼ばれたと書かれているサイトを多く見ますが、間違いなく、書かれていますね。
ただし、先程も書きましたが、今でいうアメジストとこの時代のアメジストが同一の物だとは誰にもわかりません。
たしかにアメジストは紫といっても、かなりのバリエーションがあります。
遠い時代のプリニウスさんのお話に耳を傾けて、微笑んでお話を聞いていきたいと思います。
マギ僧たちは「紫水晶は酩酊を防ぐ、そういう名を持っているのはそのためだ。」などと偽りごとを言っている。
さらに彼らは言う。
紫水晶に太陽と月の名を彫り込み、ヒヒの毛とツバメの羽毛とともに首にかけておくと呪い除けになる、と。
さらに彼らは主張する。
それをどんなふうに用いても、紫水晶は嘆願者として国王に近づこうとする人々を助け、彼らが教える呪文とともにそれを用いると雹(ヒョウ)やイナゴの災厄を免れる、と。
マギ僧とは本来ゾロアスター教の聖職者をさす言葉ですが、その後魔術師・賢者などを意味するようになり、通俗的には占星術師をさす言葉です。
その昔、星を読む占星術師はやはり古の日本でいう神官や巫女と同じ地位を持っていました。
政治と絡む位置にいた人物。
聖書に出て来る東方の三博士はこのマギ僧です。(the Magi)
Heinrich Hofmann, Public domain, via Wikimedia Commons, original data
[[東方の三博士の来訪 (画)ハインリヒ・フェルディナント・ホフマン これは、ホフマンの 1887 シリーズからの H. ホフマンによる鉛筆画の O. ステムラーによるクロモリトグラフです。 救世主の生涯の写真; Festgabe für Christiane Familien (Come Unto Me)、1891 年にフォトグラビアで発行されました (おそらくドイツ語ではそれ以前)。]]
酩酊とは酒に酔うことを表す言葉ですが、パワーストーン的な解釈としてよく言われる”アメジストは酔い止めに効く”→”人生の酔いにも乗り物酔いにも”という文句はここに端を発しているのではないでしょうか?
更にここから発展させるとこれもよく言われている”耽溺”へとつながると思います。
プリニウスさんが言い始めたことではなく、プリニウスさんもマギ僧から聞いたことをここに書き記しています。
言い伝えというものは、このような道筋をたどることが多いと思います。
きっかけになる何かの事件が起こるとそれが人から人へ伝わり、ああそういえば、じゃぁ試してみよう…
この連続が、現在も脈々と受け継がれていると思います。
もちろん、伝播の途中で全くもって頓珍漢な話に変化していったこともあるでしょう。
でもこのような伝播の仕方は、人間の心の”ある”部分、不安だったり悲しみだったり怒りや嫉妬、そういう部分があるからこそ現在へと形を持って生き続けているのだと思います。
人でしか成しえなかった”言い伝え”。
本当か嘘かという前に、人が人である弱さや優しさを認めるべきなのではないかと思います。
そして、それを信じて勇気を出して一歩を歩き始めることができるなら、それはなにより幸せなことだと思います。
にしても。
ここに記されている呪いよけグッズを身につける人は、そんなにも呪われるようなことをしたと自覚があるのか…。
さらにスマラグドゥス<緑玉>についても同じような主張をした。 ただワシあるいは、カブトムシを彫るのだという。 わたしには彼らがこんな文句を書き物にしたのは、人類に対する彼らの嘲笑の表現だとしか考えられない。
緑玉はリョクギョク・エメラルドのことだと思います。
(これもまた当時、現在のエメラルドと同一のものかは疑問です。)
ここで言う、”カブトムシ”はスカラベかな?
古代エジプトでは復活・再生を表象徴し、太陽神と同一視されていました。
そしてこの最後の文。
どんな権力者であっても、自然の法則には逆らえない。
しかしこのマギ僧は実現不可能な望み(例えば災害を避ける事等)を自分たちには”叶えてあげられる”し、”できる”と言っている。
そう考えると、この最後の一文がプリニウスさんがどういう人物であったか少しだけわかるような気がします。
すごくプリニウスさんがそばにきてくれたように思います。
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出典 プリニウスの博物誌(全3巻). (1986). 日本: 雄山閣.
プリニウス(23~79年→古代ローマ時代)が書いた”博物誌”
天文・地文・気象・地理・人種・人類とその発明・動物・植物・農業・造林・金属・絵画と顔料・岩石・宝石など生活に結びついたあらゆる分野を取り扱い、人類初の百科事典と言われます。
この中で、第33巻(金属の性質)・第34巻(銅)・第36巻(石の性質)・第37巻(宝石)が鉱物関連の記述です。
ここに書かれている石の話です。