
水晶の生成
上に述べたのとは反対の原因によって水晶が作り出される。
いきなりですが。
この前に書かれている段落が”カルマニアの蛍石”という段落で、
この物質は一種の液体でそれが地下で熱によって個体になったものだと考えられている。
との一文があります。
(※ 蛍石と記載があっても、今でいう蛍石と完全に同一のものかは謎です。)
そして反対の原因とは、
というのは、水晶は度を越して強く凍結したため固化したものなのだから。
とにかくそれは冬の雪が最も徹底的に凍結するところでだけでしか発見されない。
それが一種の氷であることは間違いない。
ギリシア人はそれにもとづいて名をつけた。
みなさんの手元の水晶、溶けませんか?(笑)
でも、この解釈に石の意味という分野の意味のルーツが見えるのです。
この表現、若しくはこの表現に近いものが水晶にはよく使われていると思います。
そして水晶はこの時代では”クリュスタロス”と呼ばれており、意味は”水晶”と”氷”と二つの意味を持つ言葉です。
水晶は東方から輸入される。
インド産のものが、他のいずれよりも愛好されるから。
それはアシアでも発見される。
そこではアラバンダやオルトシアの周辺、そしてその近隣諸国でごく粗末な種類が産出する。
また、キプロスでも発見される。
アシアはアジアではなく、当時(古代ローマ時代)は現在のトルコの西側あたりにあたります。
キプロスはまんまと思われます。
地名が出てくると手探りモード全開です。
ヨーロッパではアルプス山脈に良質の水晶が出る。
現在もそうですね!
ユバは、水晶はアラビアに面する紅海のネクロン<死人>と呼ばれる島、及びその近くにある橄欖石を産する島でも産すると証言している。
このユバさんはどなたかわかりません。
プリニウスさんのお知り合いの方と思われます。
ここで注目するべきは、”橄欖石”→”かんらん石”→”ペリドット”のことです。
しかしこの時代。
ペリドットはトパーズとして産出されていました。
紅海のネクロンとは現在どこか場所の確定はできず。
でも”死人”なんてすごい名前です。
そこでは彼によると長さ1キュービットもある水晶がプトレマイオスの士官ピュタゴラスによって掘り出されたという。
キュービットとは、”肘から中指の先までの間の長さに由来する身体尺”のことで、およそ43~5センチだそうです。
現在では博物館等、クリスタルを扱っているところに行くとこのサイズのものは置いてありますが、当時を考えるとその重さと大きさのものを人間が掘り出すということは、桁外れに大変なことだったと思います。
さらにコルネリウス・ポックスは述べている。
ルシタニアのアンマエエンシア山脈で、井戸を水位まで掘り下げていたとき、全く類の無い重さの水晶が発見されたと。
エフェソスのクセノクラテスは、アシアやキプロスでは水晶が犁(スキ)で掘り出されるという意外千万なことを言っている。
というのは、それまで、水晶は土壌の中からでなく、もっぱら岩の中からでるものと考えられていたのだから。
これはもっとありそうな話しだが、同じクセノクラテスが、激流によって水晶が押し流されてくることがよくあると言っている。
スディネスは、水晶は南に面しているところでしか産しないと主張している。
たしかなことは、水の多い地方では、その地区がどんなに寒さが厳しかろうと、川が底まで凍結するようなところであっても、水晶は発見されないということである。
必然的な結論は、水晶は、純粋な雪になって空から降ってくる水分からできたものだということである。
そういうわけで、それは火には耐えないので、冷たい飲み物の容器としてよりほかには、使い物にならない。
前提はあくまで凍結。
その凍結という前提を変えずに、見事な考察。
”水晶は、純粋な雪になって空から降ってくる水分”
ロマンティックですね。
しかし最後は、”冷たい飲み物の容器以外使い物にならない・・” とは!?
もうちょっとこう、どうなのよ。 プリニウスさん!
どうしてそれが六角形を成すのかは、容易く(たわやすく)は説明し得ない。
そしてどんな説明をしてみても、一方の先端はシンメトリーでないのに、他方の面は、どんな職人でも同じようには作り出せないほど平滑であるという事実によって、その説明はわかりにくいものになる。
どうしてその形に結晶しえるのか?という部分において、プリニウスさんは疑問を持っている一文です。
結晶した形を”創り出す”ということと比較している事が、物凄く人間くさい感じがするのは私だけでしょうか?
水晶の大きさ、性質
われわれが今までに見たもっとも大きな水晶の塊は、アウグストゥスの妃であったリウィアがカピトルに奉納したもので、その重量は約150ポンドある。
アウグストゥスは、ローマ帝国の初代皇帝です。
養父カエサルの後を継ぎ帝政(元首政)をしいた人。
カピトルとは、古代ローマのカピトリヌスの丘のことで、古代ローマ七丘の一つです。
頂上にジュピター神殿→これがまさしくカピトルです。
そして当時の1ポンドが何グラムだったかわからないのですが、参考までに、現在の1ポンドは453.6グラム。
150ポンドは約70キロ。
つまり、ローマ帝国初代皇帝の奥さんがジュピター神殿に約70キロ水晶を奉納した。
ということになります。
当時の1ポンドが正しく解らないので当たっているとは思いませんが、とにかくかなりの重さの物だったのでしょう。
どうやって運んだのだろう?
すぐ上に述べたクセノクラテスは、彼が1アンフォラ入る器を見たと記しており、またある著者たちはインド製のもので4セクスタリウスの容積がある器について述べている。
アンフォラとはそもそも水溶液状のものを入れる古代のツボのこと。
このツボが何種類か規格化され、規格化されたツボを基準としてアンフォラという単位が生まれたとの事です。
ここでいう1アンフォラがどのくらいの容量かはわかりません。
しかし、古代ローマの1セクスタリウスは約0.5リットルだそうです。
4セクスタリウスは2リットル。
2リットルのペットボトルが水晶でできている!?
私自身がはっきり肯定し得ることは、アルプスの岩の間では、水晶はたいがい近づけないところで、人が網によって宙吊りになってとらねばならないような場所にできるということである。
その道の人たちは、その存在を示す兆候をよく知っている。
良質な水晶が採れるアルプスでは、人が入れないような場所に水晶ができる。
現在でもそうですね。
この”網で~”のくだりはものすごくアナログで時代を感じさせます。
そしてこの時代に、水晶掘りのプロがいたことも感じさせる文章です。
水晶は色々な欠点によって価値が損なわれている。
たとえばはんだに似てざらざらした余計なものが付着していたり、曇ったぽつぽつがあったり、どうかすると閉じ込められた水分が中にひそんでいたり、芯が硬いが脆かったり、また「塩の微粉」と呼ばれるものがあったりする。
あるものには明るい赤色の錆が、またあるものにはひびのような外観をしている繊維が見えたりする。
これらの欠点は、彫刻師に隠してもらうことができる。
水晶の表面に何かが付着した若しくは中にインクルージョンされているもの等、価値が低いとされていたとの記述です。
今の世の中ではかえって付加価値が付くと考える人もいれば、昔ながらに曇りなく透明な水晶に価値を見出す人もいますよね。
当時は無色透明なも以外のものは彫刻などをして上手く隠していたのでしょう。
この文章の価値が損なわれるケースを読むと、石好きな方はああ~あれ?と思うのではないでしょうか?
でも、これだけ例を挙げられるということは、プリニウスさんはいろいろな水晶の種類や数を見たと考えられますね。
しかし欠点が全然ないものは彫刻などしない方がよい。
こういうものはギリシア人によってアケンテラ<芯のない>として知られている。
そしてその色は澄んだ水のようで泡のような色ではない。
最後に、重さはその価値の一部分である。
<芯のない>
水晶は芯があってそこから大きくなると考えていたのでしょうか?
無色透明であって泡→白濁色ではない。
重さも価値の一部分→重量感若しくは大きさも価値の一部分とのお話です。
私は医師たちの間で、そういう治療が必要な部分は太陽光線を遮るようにしておかれた水晶の球で焼灼するのが一番有効な方法だと考えられていることを知った。
いきなり話が切り替わっていますが…
プリニウスさんのお話は、このように話が吹っ飛ぶものが多々あります。
このお医者さんの話は、水晶のレンズ効果を利用して、お灸のような治療があったということを書きたいのかな?と思います。
が…にしても、熱いだろうに。
くれぐれも火傷しませんよう。
水晶はなおいまひとつの狂気めいた耽溺の例を示す。 というのはこれはそう古い話ではないが、ある身分のある有夫の婦人が、決して裕福でもないのに、たった一本の柄杓に15万セステルティウスを払ったのである。
高いジュエリーを財布の中も考えず購入してしまう女性心理を思わせます(笑)
”柄杓”とは、お水などを汲むあの道具。
15万セステルティウスとは、参考までにロバは500セステルティウス、ひとかたまりのパンは約0.5セステルティウスだそうです。
ロバが何匹買えるんだろう…
ネロは万策尽きたという報せを受けるや憤怒の最後の爆発で二つの酒盃を地面に叩きつけて壊した。 これは彼の同時代人すべてを罰するため、他の何人も、それらの盃で飲むことを不可能にしてやろうと思った男の復讐であった。
ここからもまた、話が飛んでいます。
飛んでいると言うか、次への序章ですが、延々話している内容をこんこんと書き記しているので、個条書きにするともう少しわかりやすいような気もしてきましたが^^;
調べたところ、暴君といわれるネロが最期の時を迎える直前の話をしています。
John William Waterhouse, Public domain, via Wikimedia Commons, original data
[[『The Remorse of the Emperor Nero after the Murder of his Mother』ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス作(1878年)。母を謀殺した後の皇帝ネロ。]]
ネロは反感をかって、最期は首を短剣で突き自害します。
その直前の、最後の昼。
仲間に裏切られた報せを受けたネロは、大切にしていたホメロスの酒盃=”二つの酒盃”をあまりの怒りにぶち切れて、叩きつけて壊してしまったとありました。
この話は次へと続きます。
一度壊れたら水晶はどんな方法によっても修理ができない。 ガラス器は著しく水晶に似たものができるようになったが、その結果は、自然の法則を嘲り、そして水晶の価値を下げることなく、ガラス器の価値を高めることになった。
一度壊れたら~の文章へとかかるネロの話だったと想われます。
ガラスで水晶にかなり似せて人間の手で創り出されるようになった。
自然に作られる水晶と比べ、人間の手で創り出されるガラスは割れてしまっても熱すればまたくっつけられる。
かと言って、そのことで水晶を下に見るようなことはなく、ガラスはガラスとしてその価値を高めた。
かなり私的解釈ですが、このような内容なのかなと想います。
まだ色々な事柄がアナログな時代で、自然への畏怖の心が強いと考えられるのではないかと思いました。
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出典 プリニウスの博物誌(全3巻). (1986). 日本: 雄山閣.
プリニウス(23~79年→古代ローマ時代)が書いた”博物誌”
天文・地文・気象・地理・人種・人類とその発明・動物・植物・農業・造林・金属・絵画と顔料・岩石・宝石など生活に結びついたあらゆる分野を取り扱い、人類初の百科事典と言われます。
この中で、第33巻(金属の性質)・第34巻(銅)・第36巻(石の性質)・第37巻(宝石)が鉱物関連の記述です。
ここに書かれている石の話です。